当会のスペシャルサポーターである歌手の菅原洋一さんが、5月31日午前9時26分にご逝去されました。

13年前、私が11歳の娘を「小児脳幹部グリオーマ(DIPG)」で亡くした同じ時期に、菅原洋一さんも、たった一人のお孫さんを同じ病で18歳の若さで亡くされました。
闘病中、お孫さんの枕元で菅原さんが『花は咲く』を歌われると、寝たきりの状態だったお孫さんの手がかすかに動いたといいます。
私は娘を亡くした日から署名活動を始めましたが、私一人では到底広げられない活動でした。そんな中、私の思いと取り組みを知り、最初に手を差し伸べてくださったのが菅原洋一さんでした。
署名提出のセレモニーを横浜でのチャリティコンサートとして開催してくださったり、小児脳幹部グリオーマシンポジウムでは息子様とともに歌を披露してくださったり、国立成育医療研究センターの小児がん病棟では、入院中の子どもたちに歌とおもちゃのプレゼントを届けてくださいました。
コンサートのたびにお声がけくださり、昨年11月の公演が、私にとって最後に拝聴したステージとなりました。
こちらは、私が厚生労働大臣と面会する時に、菅原洋一さんからお預かりしたメッセージです。
今でも大切に保管しております。
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たった一人の孫を「小児脳幹部グリオーマ」で亡くしました。18才でした。大学受験を目指して頑張っていた時でした。小さいころは人一倍元気で「爺ーじ、爺ーじ」と、私の周りを飛びまわり、私のことを尊敬してくれる、優しさと、賢い青年に成長していたころでした。
高齢の私でなく、なぜ未来ある、あの子が神に召されなければならないか、神の存在を疑いたくなりました。
小児脳幹部グリオーマは、意識はしっかりしたまま、四肢の麻痺が進み、見ること、喋ること、食べること等、徐々に出来なくなっていきました。この病気は発症から1年ほどで死に至るという、このような恐ろしい病気があると言うことなど、全く知らず、さらに驚いたのは、この病気の研究が何十年も進んでおらず、この現代においても治療法も治療薬もみつかっていないと言うことです。
今現在、このようは厳しい病気と闘っている子どもたちのために、まだ出来ること、してあげなくてはならないことが沢山あります。どうか手を貸していただけますようにお願い申し上げます。
菅原洋一
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きっと天国でお孫さんと出会い、沢山のお土産話しをしていらっしゃることと思います。
そして、今までも、これからも、菅原さんは天国から、世界でも治療法がない「小児脳幹部グリオーマ克服」に向けた私たちの歩みを、見守ってくださると感じています。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。












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